穏やかな眼差しの中で (仮題) 3

 この日以降、僕とMは親睦を急速に深めてゆく。バスケットボール部だったMも陸上部の不良少年に強いあこがれを抱くようになり、真面目な気質をある程度保った僕を追い越すようにして、Mは煙草や酒を嗜んだ。また彼とはヴィジュアル系の音楽の趣味を共有するようにもなり、団地の階段の踊り場で不良仲間とたむろしているときに、携帯電話から音楽を大音量で鳴らしたり、時にはカラオケ店まで歌いに行くこともあった。秋も深まり、街路に植わっている金木犀の甘やかな香りが昨夜来の雨に細く低く停滞していたある日、僕は特に何をする予定もなしにMの家に遊びに行った。建前上の予定は定期考査前の勉強ということだったが、その定期考査のおかげで部活が休止されているのを利用して、僕は勉強するつもりもなくMの家に上がり込んだ。試験内容は僕には易しかったので、特に勉強の必要はなかったのだった。Mの部屋では、学校で配布された資料が床に積み上げられており、彼がつゆも勉強をしていないものと見え、その隣には教科書が無造作に散乱しており、奥の棚に並べられている漫画が異様なほど端整に見えた。Mの部屋にはこれまで何度か上がっているが、その都度何か目的があるというわけではなく、漫画を読みながら取るに足らない会話をしたり、ゲームにふけったりするのだが、ほどなくして飽きると意味もなく床の上で寝て過ごしたりしていた。僕は、かつてMが男性向けアダルト雑誌を不良少年の先輩から譲り受けたと言っていたのをふと思い出し、そのありかを僕が問うてみれば、彼は――そんなに見たいの?とおもむろに顔をほころばせつつ、誇らしい表情をしたので、むしろそんなに僕に見せたかったのか、と僕は不思議がった。ほどなくして彼は押入れを開けその中に手を伸ばし、もったいぶるように隅を探って一冊の雑誌を取りだした。「優香の秘密」というタイトルが目に入る前に、そのシンプルな表紙に目を瞠った。その表紙には、中心に一枚の縦長のスナップショットが据えられており、それ以外の部分はあたかも背景のように白くくすんでいたのだが、そこにはもともと別の猥褻写真が並んでいたのが雨風にさらされることで風化して色が落ちたとのだと気がついた。中心のスナップショットには、これも幾分印刷が掠れていたのだが、全裸の女性がにこやかに笑いながら、心持ち足をいくぶん開いた状態で床に腰を下ろし、自らの右手で、毛がなく、内側が朱に染まった性器を広げている、そういった姿が写真に収められていた。全体的に印刷が掠れている分、広げられた性器の中の赤みがより強く現実的に感じられて、しばらくその微かに判別可能な構造に見入っていると、Mに頭を殴打された。ページを繰ろうとすると、一度濡れて硬化した紙が幾ページかくっついてしまっていたようで、今にも壊れそうな細い音を立てながら、折り目のくせが強く付いたページにたどり着いた。そこには表紙のスナップの拡大写真が綺麗な状態で掲載されており、会陰の構造が先ほどよりもずっと分明に見えた。女性の指によりおし広げられた燃えるような会陰の拡大写真は、僕の胃の中に大きな空隙を作り、その血の通わない虚無の空隙が少しずつ膨脹するような感覚を覚え、喉がつっかえそうになったので、僕は会陰から目をそらしたところで、女性の柔和な表情を認めて奇妙ないらだちに駆られた。気に入ったか、とMは僕に尋ね、これはエロすぎでしょ、と僕はとりなす。Mはどの写真が一番好きなの?と問うたら、Mはページを繰って僕に開いて見せた。あおむけにのけぞって苦悶とも恍惚ともいえぬ表情をする色白で細身な女性が寝台に乗せられており、口からはよだれを垂らしているようだ。手前にはモザイク処理のされた魁偉な陰茎が、瑞々しい女性器に押し当てられていた。会陰からはどちらのものとも判別せぬ白いぬめり気のある液体が垂れており(おそらく男性の精液であろう)、僕は自分自身がこの図を直視できないということに困惑しながらも、その理由は全くわからないでいたら、Mがこの写真が一番好きで、この写真に一番性的興奮をしているという事実が湧くように実感されて、そこで彼の顔を見れば、彼は恥ずかし気に大げさに瞬いて、僕から目をそらすようにしてから雑誌を閉じようとしたので、僕はそれを妨げると、そんなに気に入ったのか、と幸福に浸したような笑顔を泛べて僕をからかった。目は雑誌に向いているが、その焦点はもっと奥の、ともすれば家を超えたところに結んでいるかのようだった僕が彼を見返したら、彼はすでに床に寝そべりながら、無聊を託つようにして脚を掻いていた。彼がスウェットを穿いており、彼の陰茎の盛り上がりのシルエットが仄かに判るのに僕は気づき、彼が勃起をしているかどうかはわからない、むしろしていないだろうと予想しつつも、陰茎の実在が明らかなものと見えている小さな盛り上がりの部分を僕がつまむと、ばかやめろ、と彼は笑いながら僕をたしなめた。Mが興奮しているのかを確認したのだと僕は咄嗟にからかい、してないわと軽く流された。Mは完全には勃起していないようだったが、柔らかくもなかった彼の陰茎の感触はあの頃の僕には印象的で、僕はこの一連の流れを真の友情ゆえだと誤って確信していた。つまりは彼もふざけて僕の陰茎を狙ってくると期待していたのだが、それは当然起こらないのだった。僕は地に足のつかない気持ちで彼と同じように床に寝そべり、近くの本棚から漫画を取り出そうとしたら、僕は自分自身が勃起していることに気づき、急いで漫画を取ってうつ伏せた。その勃起に意味を見出すことは僕にはあまりに恐ろしく、取り出した漫画を読みもせずにページを行きつ戻りつし、ただ時間の過ぎるのを待っていれば、彼が今にも眠りにつきそうな声で、しかし半ば真面目な調子で、試験勉強しなきゃなあ、と言うので、いまさらそんなことして何になる、と僕は思ったけれども口にはせず、ううん、と返しにならないことを言ったところ、ふと、彼が万が一本当に試験勉強をする気になったらそんな退屈はないと思い、何か言葉を継ごうと思いめぐらしていたら、僕がYさんのことを好いていることを明かしてしまおうという思いが、雪解け水が湧くようにしてあふれてきた。Mに相談したいんだけど、と申し訳程度に話を整えるための前置きをして

 ――俺、実はさ、女バスのYさんのことが結構前から好きなんだけどさ、まあ、小二のときに同じクラスになったときから、なんかずっと好きだったんだよね。クラスなんて二回しか一緒になったことがなかったけど、クラスが変わってもずっと追ってしまうというか。これ、誰にも言ったことないから、秘密で頼むよ。

 ――いきなり何を言うかと思ったよ、そんなことだったのか。と彼は呆気にとられていた。お前がYさんが好きだろうが好きでなかろうが、俺は別に知らないよ。でもそんな前から好きでいながら、お前は一度も告白したことはないのか。

 ――M、結構冷たいこと言ってくれるじゃん。そう、これまであまり積極的な行動はしたことがないんだけど、さすがにあと一年で別の高校に行くわけだし、告白はしたいし、できればそれは付き合いたいよ。Yさんは、前の彼氏と別れてから今彼氏がいるって話は聞いたことないし、もっと仲良くなれればなあって。Mもバスケ部だし、Yさんと話すことも多いでしょ。

 ――そりゃ多いと言えば多いけど、どれくらい力になれるかは分からないよ。バスケ部でも男女でそんなに交流があるわけじゃないんだし、だってお前らそもそも帰る時間も全然違うじゃん。まずはメールのやりとりでも続けてみたらどうだ、お互い携帯は持ってるんだし。

 ――そうだな。メアドは知ってるし、メールを続けてみて、頃合いを見計らって二人で会ったり一緒に帰ったりできればまずは良いのかな。

 

(続く)